「出る杭は打たれる」ということわざはなくすべき6の理由

こんにちは、一皿です。

ちょっと教えてください。

あなたは「出る杭(くい)は打たれる」ということわざは好きですか?

ここで『嫌い!』と答えた人はきっと自立心が強く能力もある人だと私は思います。(そんな人こそ読んでほしい!)

私はどうもこの言葉は『正義は叩くのに悪を見逃している』感があって好きになれません。

『打つ側』の言い訳としては『これは教育ですから』とはよく言いますけど、こんな言い訳ダメに決まってますよね。イジメヨクナイ。

なので今回は、そんな悪質なことわざがなくなるべきだと私が思う理由を『打つ側』『打たれる側』で紹介です。

打つ側

常に他人を気にして自分の位置が分からなくなる

学校や会社などでも、「出る杭」というのは大抵は個人で、「打つ」側は集団です。なのでだいたいの場合、打つ側の人たちの意見は「みんなもやってるから」とか「なんとなくキライ」みたいなしょうもない意見が大半です。いつも他人の顔色をうかがっている人は、1人になった時に動くことができなくなってしまいます。

他人の失敗に喜び、他人の成功を喜べない人になる

失敗を喜んでも仕方がありません。

他人の失敗を喜んで、その喜ぶ姿をその人の前で見せるわけでもなく影で笑い、他人を蹴落としただけで結局何の成果もあげられないのなら、こんな馬鹿らしい人はいません。

他人の不幸を喜ぶ人は、いつかその人自身が蹴落とされて笑われても誰も助けてくれないのです。

会社が時代に取り残される原因となる

企業の中には、突出してきた人材に対して『妬ましい』といった理由で自分の地位を守るために敵視をしてくる様な人もたまに居たりします。自分の方が年齢と権力が上だからといって部下の昇進をブロックして成長を止める人はナンセンスです。

本体、企業の経営に1番重要なのは市場の調査であり、調査のためには常に新鮮な意見や情報が必要です。

その貴重な情報源になるはずの『出る杭』をないがしろにする企業というのは、上層部の権力だけが強くなり、『能力はあるが権力がない若手』と『権力はあるが能力がない上司』という時代に取り残された典型的な無能企業を形成する羽目になるのです。まあこれは企業の場合なので学校には当てはまらないかもしれませんね。

打たれる側

成長の機会をなくしてしまう

もし、能力が低い人であれば、ライバルから怒られたりしても仕方がありません。なぜなら、そのひとは本来あるべき基準をみたしていないからです。(パワハラは絶対ダメですが。)

しかし、能力がある人を打つようなことをするのは良いこととは言えません。打たれるということは、その人に何らかの成長するきっかけがあったから他人より頭1つ成長できたのに、その大切な『成長のきっかけ』をつぶされてしまっては、その人の今後の成長をおさえることになってしまうからです。

努力の方向性を間違えてしまう

自分の意見や成長を妨害された人でも、謙虚に成長しようとあきらめずに正しい道を目指して努力する人はもちろんいます。しかし、杭を打たれた時の仕打ちがあまりにひどいものだったりした人などは、努力の矛先が『自分を攻撃してきた人への報復』という間違った道へと向かってしまうこともあります。そのようなことになってしまえば、打つ側は復讐されて打たれる側は無駄な努力という得のない結果となってしまいます。

『出過ぎた杭は打たれない』では解決にならない

よく、出る杭は打たれるの解決案として『出る杭が打たれるなら、出過ぎればいい』というような言葉を見かけます。現在では半ば、『出る杭は~』とセットで使われてる気もしますが、これは完全な解決にはなっていません。

打つ側が居るということが問題

そもそも、みんなのために頑張った人に対して、仕打ちを与えようと考えること自体が間違いです。

一応、打たれる側の問題というのは、『出過ぎた杭』になることができればまだなんとか大丈夫で、その後は学校や企業に貢献できるようになります。

しかし、打つ側がする『人を引きずり下ろす』というようなことは、企業にとって何も生産的なことはしていません。というかマイナスです。

もっと根本から解決するためにも、他人の成長を喜べる人を増やしていかなければいけません。まあこんなこと言って現実で増えてくれれば苦労はしませんけどw

まとめ

元はと言えば『出過ぎた杭は打たれない』という言葉ができてしまったことにより、『だったら打ってもいいよね?』という謎な考えが成立しちゃってるんじゃないかと私はなんとなく思います。

売り言葉に買い言葉があるという現在の状況が『出る杭は打たれる』という『打つ』という行動への免罪符になっているのではないでしょうか。

馴染みのあることわざとはいえ、さすがにもう『そんな言葉があること自体恥ずかしい』と思うべきではないでしょうか。